フィンランド語入門者用『Suomea suomeksi 1/Olli Nuutinen著』テキスト音源(MP3形式)

フィンランド語入門者用テキスト『Suomea suomeksi 1/Olli Nuutinen著』(SKS社発行)の
テキストの主要箇所だけを読み上げたものです。

私達にお客様からの要望で、担当講師が独自に録音したものです。
ただし音質は悪いです。ご自身の判断でご活用くだい。

『 Suomea suomeksi 』は1と2があり、日本のフィンランド語を教える施設でよく使われている入門書です。

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スウェーデン映画『エヴァとステファンのすてきな家族』

スウェーデン人の半分が観たという映画

出演 : エンマ・サミュエルソン/サム・ケッセル/リーサ・リンドグレン
監督 : ルーカス・ムーディソン http://www.bitters.co.jp/moodysson/index.html
配給元 : ビターズエンド


「ショー・ミー・ラヴ」でデビューした、スウェーデンを代表する若手映画監督の一人、ルーカス・ムーディソンの第二作。前作と同様、本作品でもムーディソン本人が監督・脚本ともに担当している。この映画、スウェーデンで2000年の観客動員数トップに輝いた大ヒット作である。ちなみにスウェーデンも日本と同様、アメリカ映画が幅をきかせていて、スウェーデン映画がトップになることは珍しい。

舞台は1975年のストックホルム。黄色い外壁の、スウェーデンならごく普通にみられる民家である。家は普通でも中に住んでいる人たちはちょっと違う。近所の住人たちともなんとなくしっくりいっていないようだ。ヒッピーたちのコミューンだからである。原タイトルのTillsammans(英語だとtogether)は、このコミューンの呼び名である。

この年の11月20日早朝、スペインの独裁者フランコ将軍が死んだ。そのラジオのニュース速報とともに映画は始まる。原稿書きでもしていたのか、徹夜明けの住人の一人、ヨーランがそれを聞き、「フランコが死んだぞ!」とみんなにふれてまわる。住んでいるのは何より自由と平和を愛する人々だから、みんなもう大喜びである。そんな中やってくるのがヨーランの妹、エリザベートと子どもたち、エヴァとステファン。エリザベートは酒乱の夫、ラルフに殴られ、家を出てきたのであった。物語は、このちょっと変わった大人たちの共同体に、いきなり放り込まれたエヴァとステファン、そして母親のエリザベートを中心に展開していく。

ここに住む彼らはヒッピーとはいうものの、決して独善的であったり不道徳な人たちではない。まして過激な考え方なり、行動をするようなことはない。でもなんというか、カタブツ的なところは相当あって、その辺の行動なり会話なりが傍でみていると面白いのだ。たとえば「長くつ下のピッピ」がやり玉にあがるシーンがある。「ピッピは資本家で、おまけに物質主義者じゃないか!」というのである。ピッピは我々の敵であると大まじめで批判しているのだが、まじめな分だけ笑ってしまう。こういった会話のおかしさ、つまり脚本のうまさもこの映画のみどころ。日本人でもけっこうおかしいのだから、スウェーデン人には大受けという場面がたくさんあるに違いない。

そんな議論のたえない家だから、耐えられないとなると出ていってしまう人もいる。一方で子どもたちはといえば、最初のうちこそこの奇妙な共同体にとけこめず、父親が恋しかったりもする。しかしそのうちエヴァは隣家の一人息子、フリドリックと仲良くなり、ステファンもこの家の住人の子どものテト(もちろん、ベトナム戦争の激戦地の地名にちなんで名づけられた)と友だちになって一緒に遊ぶようになるのであった。

そして季節が移り雪が降る。そこにラルフがエリザベートを訪ねてくるが、二人の関係はどうなるのだろうか? 家族はもとに戻るのだろうか? 結末は映画をみてのお楽しみ、ということにしておきたい。ただ、この映画の監督のルーカス・ムーディソン自身は両親の離婚を経験しているという。そのことで子供心につらい経験もあったに違いない。そういったところからの思い、願いが、映画の最後にこめられているのではないだろうか。たいへんに印象的なラストシーンである。

この作品、ぶつかりあいながらも一緒に生活する、共同体の人々の悲喜交々をみているうち、心が温かくなってくるようないい映画である。テーマ曲はスウェーデンが生んだポップスター、アバがうたうSOSで、他にも当時のポップスが随所にちりばめられ、それもみどころ(ききどころ?)だろう。

なお本作品の後、ムーディソンは、旧ソビエトの貧しい少女を主人公にした“Lilja 4 ever”を製作、スウェーデンをはじめすでに多くの国々で公開されている。こちらの作品は本作とはうってかわって、手持ちカメラを多用した、いかにも今風の映画であるが、内容は本作同様(あるいはそれ以上に)、いろいろなことを考えさせられる秀作である。彼はいまスウェーデンで最新作の製作中とも聞くが、これらの作品も早く日本で公開してほしいものだ。

デンマーク映画 『フォーリンフィールズ』

主演 : 1985年のデンマーク映画『ペレ』で主役を演じたペレ・へウネゴー
監督 : オーエ・ロイス


若いデンマーク人兵士ヤコブは、国連部隊のPKOでボスニア行きを命ぜられる。射撃の腕はすこぶるよかったが、実際の戦地では小競り合いにもかかわらずビビってしまい、ホルト軍曹に窮地を救われる。

休暇のある日、ヤコブはホルトから同行を誘われる。ついてゆくと、それは戦争とは関係のない「セルビアン人狩りツアー」のガイドであった。雇い兵として様々な戦地をくくり抜けてきた、戦争屋ホルトのブラックビジネスだった。アメリカ人、スウェーデン人、ドイツ人、そしてデンマーク人は、それぞれの思いでこのツアー関わり、のどかな農家を襲うのだった。アメリカ人は鼻歌交じりにスウェーデン人はテレビゲームをするようにドイツ人はためらいながら、引き金を引くのだった。しかしゲリラに帰還用ヘリを爆破されて、5人は戦場を迷走し疑心暗鬼に陥る。スウェーデン人は「人を殺してみたのに、なにもかわらない」とつぶやいたとたん、被弾して死亡。アメリカ人はこのツアーの脱退を決断したヤコブに殺される。感覚を麻痺させられない新兵ヤコブは、実はジャーナリストだったドイツ人女性を救うべくホルトから逃げる。しかし口封じを試みるホルトは、二人を追った。

女性はホルトに撃たれ、ホルトはセルビア人少年の背後から放った憎しみのこもった銃弾であっさりと打ち抜かれる。死んだホルトの胸のペンダントには、家族と思われる写真があった。ヤコブは軍法会議で兵役を解かれ「敵軍と交戦のすえ、軍曹は死亡、自らは負傷」の報告を否応なく認めさせられるのだった。

戦場は、人から確実に人間性を奪う。人間的感覚を麻痺させなければ生き残れないのだ。だから新兵はすみやかに人間性をなくしてゆくために、先輩兵士からあらっぽい経験をさせられる羽目になった。その経験を踏み越えられなければ、戦場を去るか殺されるしかないのだ。

ひたすら死を生産する戦争が起きる理由は、誰もわからない。この映画はセルビア人を悪者にしたたて行われた戦争へのアンチテーゼであり、同時に戦争の底無しのむなしさを描いたものだ。それらのメッセージを監督はセリフでなく、きわめてリアリティに満ちた映像と音で突きつけてくる。のどかな時間が一瞬にして銃弾に引き裂かれる場面を繰り返し、見るものをライブ感覚に満ちた戦場にひきずりこんゆく。そしてヤコブが繰り返す生と死をわける決断は、私たちを傍観者でいることを許してくれない。

「おまえならどうする?おまえならどうするんだ」。

人間性を失う寸前で戦場を離れたヤコブが、ボスニアでの体験をどのように克服するのか。それがこの映画をみた者の宿題だと思う。

それでは、戦場へどうぞ。

スウェーデン映画 『太陽の誘い』

失意の女性を救った不器用な男の愛と祖国スウェーデンのきらめく夏

監督・脚本 : コリン・ナトリー
出演 : ロルフ・ラスゴー、ヘレーナ・ペリストレム
スウェーデン映画 : 118分
写真提供 : アルシネテラン


誰しも、生きていて自らのアイデンティティに揺らぎを覚えることは一度や二度ではないと思う。自分が足下から消え入ってしまいそうな不安を覚えるのだ。そんな自分を早く取り戻すための特効薬は、立ち止まり、少し休んで自分の心の動きと足下をしばしの間見つめることだと思う。そしてできることなら惨めになっている自分よく理解してくれて、そっと見守ってくれる「愛」があれば、独立心をとり戻すのにそう時間はかからないだろう。

「太陽の誘い」は1950年代の夏のスウェーデンを舞台に、失意の渦中にいる中年女性と女性経験が全くない木訥な男が出会い新しい人生に踏み出すまでを描いた恋愛映画の佳作である。

貧しく、アメリカへ向かう人が絶えなかった1950年代のスウェーデン。過疎の村で馬の育成で生計を立てながら暮らすオロフは、40歳。独身である。母を亡くして以来一人暮らしをしてきたが、寂しさに耐えかねて伴侶を探す決心をする。しかしド田舎に適当な女性がいるはずもなく、新聞に恋人募集の広告を出す。「当方、独り身の三九歳、農夫。高級車あります。家政婦として私を手伝ってくれませんか」。

オロフには友達がいた。お調子者のエリック。20代後半のアメリカ帰りの男である。アメリカン・ドリームを夢見て、一度はスウェーデンを捨てたものの、成功せずド田舎でくすぶっている。オロフが字を読めないことや人の好さににつけ込み、買い物などの世話を焼く振りをしてはオロフの金をチョロまかしている。競馬馬の購入資金をオロフに出させオーナーになって一山当てようしているが上手くいかず、オロフに返済を迫られてる。 恋人募集には二通の応募があった。その一通が、エレン・リントという女性だった。同封された写真で見る限り、おおよそ田舎暮らしの似合わない、かなりの美人だ。オロフは半信半疑だったが、新聞社の募集欄担当の女性の薦めもあってエレンを「家政婦」に雇おうことを決める。

実際会ってみると、エレンは思った以上のエレガンスで、かつよく働く。しかしどこかしら陰がある。エレンの一目惚れしたオロフは、彼女の素性についてはいっさい聞かずに家に招き入れる。自分が文盲であることだけは、隠して。

エレンの仕事ぶりは非の打ち所がなかった。その上成熟した女性の魅力を振りまく。女性の香りがオロフの家に初めて満ちあふれる。その香りに圧倒され、しばしばオロフは眠れない夜を過ごす。女性とどう話していいかもわからないオロフのエレンへの接し方はどこまでもぎこちない。しかしエレンは、社交下手なオロフをよく理解した。スウェーデンの夏の太陽の下で、二人は激しく引かれあってゆくのだった。

二人が肉体の通じての愛情交歓をはじめるのにさして時間はかからなかった。男は40年間たまった愛情のエネルギーを全て放出するかのように、女は何かを忘れようとするかのように互いの体を、所構わず、貪りあった。情交を重ねるたびに愛は深まり、男は自信を取り戻し女は本来の笑顔を取り戻して行く。

面白くないのはエリックである。しっかりものの「家政婦」が来たことで金蔓を絶たれ、エレンにまでオロフへの返済が滞ってこっていることをたしなめられてしまった。追いつめられたエリックは卑劣な反撃に出る。エレンの過去を調べ上げ、彼女にはれっきとした夫がいることを突き止め、それをネタにエレンを脅すのである。

隠し事を暴露されてしまったエレンは、すぐさま置き手紙をしてオロフの家を出る。エリックはエレンの置き手紙をオロフに読み聞かせるが、「エリックが返済した馬の代金を私は盗んだ」と書いてある、とウソをいう。それを聞いたオロフはエリックに言う。「字は読めないが、オレはバカじゃない」、と。自分のウソがばれたと悟ったエリックは、突如として「アメリカに行く」といいだし、村を去る。夏が去り、オロフに孤独な日常が戻った。

秋が過ぎ冬になった頃、オロフが馬の世話を終えて家路を歩いていると、高級な車から降りた、やややつれたエレンが立っていた。

オロフは胸にいつもしまってあった、エレンの置き手紙を差し出す。
「最後になんてかいているか読んでくれ」
「あなたを永遠に愛しています」

中年の男女があやふやな気持ち抱きながらも、愛する対象に近づきそして真実の愛を獲得し、実人生への自信を取り戻してゆくまでが、美しい自然を背景に語られている。心に残る映画だ。役者が驚くほど上手くて、緊張感があって目が離せない。「手紙」が効果的に使われているストーリー展開が実にいい。

ところで登場を人物をよく監察すると、この映画は単なる恋愛映画にとどまっていないことがわかる。1950年代のスウェーデンというのは貧しくて、アメリカでの生活と成功を夢見て、祖国を出る人があとを立たなかった。だから映画に登場するエリックもエレンも、アメリカに渡ったスウェーデン人の一人だったに違いない。そしてエリックはアメリカ文化ににスポイルされ、もはやスウェーデン人としての立ち振る舞いができなくなっている。50年代アメリカのビジネスマンが北欧にやってきて、ヨーロッパの田舎者である北欧人をよくだましたときく。エリックはアメリカ文化のシンボルであり、またスウェーデン魂を忘れたスウェーデン人として描かれている。

エレンもアメリカに渡り、かなりの成功を収めたものの、アメリカ暮らしが水に合わず着の身着のまま夫と別れてスウェーデンのど田舎にやってきた、というところだろう。自分を見失った状況にだった。彼女はど田舎でスウェーデン人の典型のような男、オロフに出会う。そして自分がまぎれもないスウェーデン人であることを強く再確認し、オロフとの交流を通じて再生して行くのである。

当時アメリカは、経済力にものを言わせて我が世の春を謳歌していた。反対にヨーロッパの片田舎、スウェーデンは経済力も乏しく国の行く末は見えず、自信をなくし掛けていた。
「自分に自信がないのね」エレンが何度かかオロフに向かっていうセリフは、当時のスウェーデンの事をいっているのだ。

20年以上手入れをしていない雨漏りの納屋で、エレンがオロフをあれほど激しく求めたのは、アメリカ暮らしでアイデンティティ失いかけていたエレンが、「自分の居場所はここだ」と確信したに他ならない。違和感なく田舎暮らしにとけ込んだところを見ると、彼女も実は農民の出であったのかもしれない。そして一度はオロフにもとを離れたものの、身も心もスウェーデン人に戻ったエレンは、人生の苦難を味わって男になったオロフのもとに戻ってくる。

ラストシーンでエレンが口にする「あなたを永遠に愛する」という言葉は、失意の底から自分を救ってくれたオロフ、そして祖国「スウェーデン」への永遠の愛の誓いだったのだ。「太陽の誘い」は上質の恋愛映画であると同時に、スウェーデンとスウェーデン人に対するオマージュなのである。

(遙 ゆう)

デンマーク語のすすめ

山中典夫(北欧留学情報センター代表)

私がデンマークを始めたのは、本当に偶然。大学へ入って、志して学び始めたわけではありません。現地の体操学校たまたま留学することになり、そして必要に迫られて覚えていったのです。初めはほんとうにちんぷんかんぷんでした。でも、3ヶ月をすぎた頃、だいぶ耳慣れてきました。いったん留学を終え、帰国しましたがデンマーク語を本格的に覚えたいと思い、語学学校に留学しました。ここで体系的に学び、自分のデンマーク語は飛躍的に整いました。そしてデンマーク語の表現や音にも興味が湧くようになりました。なによりもデンマーク語でデンマーク人と話がしたいと強く思うようになりました。

私はアンデルセンが大好きですが、デンマーク語で読むまで彼の童話の意味がわかりませんでした。しかし先生の指導を受けながら彼の童話を読み進むと、デンマーク語とデンマーク語音つかったユーモアが随所にちりばめられていることがわかりました。そう、アンデルセンはデンマーク語でトコトン遊んでいるのです。

ということで、私がデンマーク語学習を進める理由は二つ

  1. デンマーク人とデンマーク語で話せる。英語では彼らの本性がわからない
  2. アンデルセン童話を10倍楽しめる。アンデルセン童話は落語だ。

そういうことで、私はデンマーク語の学習をおすすめしたいと思います。

ノルウェー語のすすめ

若林博子

「ノルウェー語ってどんなの?」と問われるばかりか、「ノルウェー語?」といわれるほど、ノルウェー語は、他の北欧語と比較してもマイナーな言語である。 そんな見たことも、聞いたこともないノルウェー語を学ぶには・・・ということで、ここでは、初めてノルウェー語に触れる人のために、いくつかのテクニックを紹介したい。

  1. リスニングから−リズムを掴む
    こんなこと、今更いわれるまでもないと思われるかもしれないが、やっぱり強調したい。日常の中で、耳にすることのない言語だからこそ、 ノルウェー語とはどのようなものなのか、“リズム”を感じ取ることから始める。そして、耳で慣れていく。英語の発音から考えると、考えられない発音をするものや、 表記されていても無音のものがある。たとえば、「jeg」(=私)は、「ヤイ」と読むし、「hva」(=何)は、「ヴァ」と読む。 そのため、CD付きの本であれば、本を開く前に、何を言っているのだかわからなくても、とにかく“聞く”。 「本を開きたーい」という誘惑に負けず、何度も何度も“聞く”。全部を聞き取ることができなくても、何かしか、耳に残る単語があるはず。 それを書きとめながら聞いていく。その耳に残った単語こそ、貴方が、はじめて覚えたノルウェー語ということになる。
  2. 本を開く
    ここで、ようやく本を開く。そして、声に出して読んでみる。この“声に出して読む“ことが、大切。そのとき注意したいことは、読みがなをふることである。 たとえば、先にもあげた「hva」は、「バ」ではなく「ヴァ」である。「vin」(=ワイン)は、「ビン」ではなく「ヴィン」である。 読みがなをカタカナでふることはあまりよくないとされているが、初学者がノルウェー語の発音の違いを確認するために、 「v」と「b」や「l」と「r」などの違いがわかるようにカタカナで追記するのはわるいことではないだろう。 外国語を学ぶ時にすすめられることとして、大きく声で読むということがある。ノルウェー語では、それが特に必要な練習になる。 なにしろノルウェー人は北欧人の中でも背が高いほうだ。ノルウェー人と話すときは、2階にいる人と話すような気持ちならなくてはならない。 私たち日本人は背丈を考えると、ノルウェー人の耳の位置は遙か上にある。話すときノルウェー人は身体を半分に折って前かがみなり、 日本人はせいいっぱい背伸びをしてかつ大きな声で話さなければならないのである。

ということでノルウェー語を読むときにお勧めしたい読み方は、謳うようにアップダウン激しく読むこと。 ただ、平らにまっすぐ(「−」←こんな感じ)に読むのではなく、強く読むところは強く読み上下に読む(「〜」←こんな感じ)。 「そんないい加減な」といわれるかもしれないが、大げさでも、そのようにして読むとノルウェー語っぽくなる。

さて、ノルウェー語を始めたいと思っても、日本語で書かれたノルウェー語入門書は非常に少ないのが現状。 しかし最近になって肩を張らずに読める初学者用のノルウェー語本もチラホラ刊行され始めた。お勧めしたいのは、前ページに掲げてある、 北欧留学情報センター初代ノルウェー語日本人講師の青木順子さんが書いた『語学王ノルウェー語』(三修社)。 カタカナ表記、CD付きで基礎的な文法の解説もある。非常にとっつきやすい編集になっている。また大学書林刊行の『英語対照ノルウェー語会話』(清水育男著)も、 おすすめだ。値段も2200円と安い。カタカナ表記もしてある。ただしCD,テープ等がついていない。 またノルウェー本国でも、CD付きの初学者向き語学書がでている。少し覚えたら、現地からそれらを取り寄せて練習するほうが上達するには効果的かもしれない。

以上、ノルウェー語の学び方を説明してきたが、「こんな説明で本当にノルウェー語を話せるようになるのか」と、疑いたくなるかもしれない。 もちろん、これらは、一参考例であり、自分にあった学び方は、100人いれば100通りあるだろう。これらが参考になれば幸いである。

Lykke til !(Good luck!)

【若林博子】

聖学院大学卒
ノルウェー語講師
著書に『旅の指さし会話帳 ノルウェー語』(情報センター出版局)

フィンランド語のすすめ

山川亜古

「フィンランド語は難しい」という伝説!?
確かに北欧語の中でもフィンランド語だけ全然違うし、発音も文法構造も語彙も、英語やドイツ語など身近に知っている言語のタイプとはかなり異なっていて、 馴染みがなく感じられます。でもそう恐れることはありません。私達日本人にとっては実は意外にとっつきやすい言葉でもあるのです。

発音は日本人向けの言葉?
外国語学習ではたいてい発音の習得に苦労します。ところがフィンランド語に関しては、まずその苦労が殆どありません。 フィンランド語は文字をそのまま書いてあるとおりに、ローマ字を読むように発音すればいいのです。例えば、puu は「プー(木)」、talo は「タロ(家)」、 me は「メ(私たち)」といった具合です。アクセントも常に単語の頭(第一音節)につけ、イントネーションも平易、疑問文は終わりを下げて読みます。 そんなわけでフィンランド語を習いたての人でもすぐに通じますから、声に出して使ってみるのがとても楽しくなること請け合いです。
また発音が日本語そっくりの単語がたくさん出てくるので (例えば 上述のme メ(私たち)→目 he ヘ(彼ら、彼女ら)→屁 hanaハナ(蛇口)→花、鼻、 susiスシ(狼)→寿司 などなど)、 ちょっとしたことば遊び的な要素も楽しく学習を進める助けになるかも。

文法規則はパズル感覚で覚えてみよう!
フィンランド語が難しい、といわれる所以はその文法規則にあります。 名詞や動詞の活用がたくさんあるからです。フィンランド語は語末を変化(活用)させ後ろに文法的な情報がくるタイプの言語ですが、 名詞の活用形は日本語の「てにをは」格助詞の使い方に似ているのでわかり易いでしょう。例えばkoulu「学校」という名詞は、 koulu-n学校-の koulu-a学校-を koulu-un学校-に koulu-sta学校-から koulu-ssa学校-で となります。

ところで単語は文中では、原形(辞書形)から活用した形で登場することが殆どです。そのため学習を進めていく上で、まず単語が原形からどう活用するのか その基本的な語尾変化をどうしても覚える必要があります。そうしないと辞書が引けないという困った事態が待っています。 もとの原形がわからないために辞書が引けず何十分も費やす・・・なんてことが学習初期の段階ではよくあります(私もありました!)。 というわけで基本の語尾変化や活用の形をぜひ何度も声に出して暗記するように覚えてください。

フィンランド語はシステマチックな言語です。最初は文法の規則性など覚えることが多くてとんでもなくやっかいに感じますが、 パズルを解いた後の達成感を楽しむような気持ちで学習を進めてみてください。一から全く新しいタイプの言葉を学ぶ醍醐味、 これがこうなるの?という新鮮な驚きがフィンランド語への興味を更にかきたてることでしょう。

【山川亜古】

東海大学大学院卒。
フィンランド語講師、サーミ言語研究家。
1996年フィンランド政府奨学生としてヘルシンキ大学人文学部留学。
1998年オウル大学、2000年8月より1年間サーミ大学(ノルウェー)に留学。
著書:『らくらく旅のフィンランド語』三修社)

北欧旅行の魅力とは

山中典夫(北欧留学情報センター代表)

この夏や秋の休みに北欧へ旅行する人も多いと思います。北欧観光へ行く人は、そこにあるなにか特別なものを観に行くのではなく、「北欧そのもの」を見に行くことが目的になることが多いような気がします。もともと旅行は、意識するにせよしないにせよ、非日常を体験してリフレッシュすることが、目的になります。確かに、デンマークの長閑な様子や、ノルウェーの神々しいばかりのフィヨルドとそこに暮らす人々、森に恵まれたスウェーデン、たくさんの湖をまとったフィンランド。そんな北欧の風景に、身を置くだけで十分幸福感に浸れます。
個人的な意見ですが、それぞれの首都はそれぞれ魅力溢れる街ではあるのですが、北欧の旅ので最も魅力的な場所は、小さな町や田舎道だと思います。細野晴臣さん歌に、「ここがどこなのかどうでもいいことさ」(「恋は桃色」)というフレーズがあります。私は、北欧の道を歩くとなんとなくこの歌が口ついて出ます。日本とは違う、空の色を楽しみ、草や木の臭いを嗅ぎ、風に吹かれ、時には月の光を背に受けて歩いているだけで、それだけで、気持ちがいいのです。そして一緒に歩いてくれる恋人がいれば、もっといいです。食べ物を楽しんだり買い物をするのだけの旅行は、北欧には似合いません。あくまでものんびりと、疲れた心身をお風呂に浸すように、北欧旅行を楽しむのがいいです。強行スケジュールで疲れながら駆け足で回るのは、あまりにもったいないところです。
追記:北欧の小さな町のミュージアムに立ち寄るのもお奨めです。充実したものがとても多いのです。それからスーパーマーケットに入るのも面白いんですよね。

(本稿はOSV23号に掲載されたものです)

白夜の国の贈り物 ?@

小池香緒里

現在、私は大学で社会福祉を学んでいます。福祉を学ぶ動機として思い描いているのは、一人一人がその人固有の苦悩や喜び、経験など築いてきたものを封じこめることなく社会の貴重な賜物として活かして、一人一人が社会の豊かさを生み出し、共にわかちあえるような世界をみんなで創っていくことです。
異様にも思える暗さが、今の日本を覆っているように思います。ですから、立ち止まって深く話しこんだり、考えこんだりする心の余裕が必要だと私は思うのです。それぞれの心の中でも、家庭や教育の現場、そして社会のなかでも。
自然の語りかけに耳を傾けたり、芸術の美しさに身をゆだねたり、本を読んで未知の世界に夢をはせたり、静寂の中で自分の心と対話してみたり・・・。小さな頃フィンランドにいた私は、そんな中で育ちました。私は人として守るべき事を学び、自己をみつけ、他人や社会を思いやり、許し、共存し、また生きる意味を考える事を学べた気がします。自自己中心的な欲求を満たすだけで、心が豊かになるとは思えません。自分の心をないがしろにして周りの欲求に叶うだけでどうやって生き続けていかれましょうか。人生は生きることの明るい喜びと、暗い哀しみが祈り重なっていくものだと思います。そしてそれは、うち続く不安や疲労感ではなくて、心からの安らかな幸せであるはずなのです。
子どもの頃、私はフィンランドに暮らしました。フィンランドでの生活体験の意味は大きく、現在においても私の何かにいきづまった時、私はフィンランドでの日々を思い出します。

冬の教会の荘厳な空気や木のきしむ音、オペラハウスの天井で舞っていた天使たち、クリスマスに白い庭を点々と飾っていたろうそくの灯り、もみの木のにおい、大の字に寝転がって見た空から落ちて雪のひとひら、ホームパーティーで背伸びしてきいていた大人の会話、本選びから始まり、チームワークに苦戦して、共にプレゼントを贈ったクラスメートたち、自然と生涯学習をしてくれて私たちの目を社会に向けさせていった素晴らしい先生方。そうしてあのような一人一人がその人らしく輝ける、人間らしく生きていけるヒューマニズムのしみ通った社会を夢見るのです。大人が子供を「いい子」に育ててしまうことのない地域社会、誰もが「私は私だ」と穏やかに生をまっとうできるケアシステム、女性が安心して子育てをし、仕事に復帰できる環境、犯罪の加害者・被害者が孤立することなく更正できるコミュニティー、人が逃げたくても行く崎もなくて、自ら命をとじようなどと思うことのない社会、様々な子が互いの長所を発見し、のばし、助け、助けられる喜びをかみしめられる教育。そんな社会の幸福のために、私はこれからも日々励んでいきたいと思います。
どうか、その大切な一部であるこの語学教室の皆様、これからもよろしくお願いします。

(本稿はOSV22に掲載されたものです)