ノルウェー語のすすめ

若林博子

「ノルウェー語ってどんなの?」と問われるばかりか、「ノルウェー語?」といわれるほど、ノルウェー語は、他の北欧語と比較してもマイナーな言語である。 そんな見たことも、聞いたこともないノルウェー語を学ぶには・・・ということで、ここでは、初めてノルウェー語に触れる人のために、いくつかのテクニックを紹介したい。

  1. リスニングから−リズムを掴む
    こんなこと、今更いわれるまでもないと思われるかもしれないが、やっぱり強調したい。日常の中で、耳にすることのない言語だからこそ、 ノルウェー語とはどのようなものなのか、“リズム”を感じ取ることから始める。そして、耳で慣れていく。英語の発音から考えると、考えられない発音をするものや、 表記されていても無音のものがある。たとえば、「jeg」(=私)は、「ヤイ」と読むし、「hva」(=何)は、「ヴァ」と読む。 そのため、CD付きの本であれば、本を開く前に、何を言っているのだかわからなくても、とにかく“聞く”。 「本を開きたーい」という誘惑に負けず、何度も何度も“聞く”。全部を聞き取ることができなくても、何かしか、耳に残る単語があるはず。 それを書きとめながら聞いていく。その耳に残った単語こそ、貴方が、はじめて覚えたノルウェー語ということになる。
  2. 本を開く
    ここで、ようやく本を開く。そして、声に出して読んでみる。この“声に出して読む“ことが、大切。そのとき注意したいことは、読みがなをふることである。 たとえば、先にもあげた「hva」は、「バ」ではなく「ヴァ」である。「vin」(=ワイン)は、「ビン」ではなく「ヴィン」である。 読みがなをカタカナでふることはあまりよくないとされているが、初学者がノルウェー語の発音の違いを確認するために、 「v」と「b」や「l」と「r」などの違いがわかるようにカタカナで追記するのはわるいことではないだろう。 外国語を学ぶ時にすすめられることとして、大きく声で読むということがある。ノルウェー語では、それが特に必要な練習になる。 なにしろノルウェー人は北欧人の中でも背が高いほうだ。ノルウェー人と話すときは、2階にいる人と話すような気持ちならなくてはならない。 私たち日本人は背丈を考えると、ノルウェー人の耳の位置は遙か上にある。話すときノルウェー人は身体を半分に折って前かがみなり、 日本人はせいいっぱい背伸びをしてかつ大きな声で話さなければならないのである。

ということでノルウェー語を読むときにお勧めしたい読み方は、謳うようにアップダウン激しく読むこと。 ただ、平らにまっすぐ(「−」←こんな感じ)に読むのではなく、強く読むところは強く読み上下に読む(「〜」←こんな感じ)。 「そんないい加減な」といわれるかもしれないが、大げさでも、そのようにして読むとノルウェー語っぽくなる。

さて、ノルウェー語を始めたいと思っても、日本語で書かれたノルウェー語入門書は非常に少ないのが現状。 しかし最近になって肩を張らずに読める初学者用のノルウェー語本もチラホラ刊行され始めた。お勧めしたいのは、前ページに掲げてある、 北欧留学情報センター初代ノルウェー語日本人講師の青木順子さんが書いた『語学王ノルウェー語』(三修社)。 カタカナ表記、CD付きで基礎的な文法の解説もある。非常にとっつきやすい編集になっている。また大学書林刊行の『英語対照ノルウェー語会話』(清水育男著)も、 おすすめだ。値段も2200円と安い。カタカナ表記もしてある。ただしCD,テープ等がついていない。 またノルウェー本国でも、CD付きの初学者向き語学書がでている。少し覚えたら、現地からそれらを取り寄せて練習するほうが上達するには効果的かもしれない。

以上、ノルウェー語の学び方を説明してきたが、「こんな説明で本当にノルウェー語を話せるようになるのか」と、疑いたくなるかもしれない。 もちろん、これらは、一参考例であり、自分にあった学び方は、100人いれば100通りあるだろう。これらが参考になれば幸いである。

Lykke til !(Good luck!)

【若林博子】

聖学院大学卒
ノルウェー語講師
著書に『旅の指さし会話帳 ノルウェー語』(情報センター出版局)

フィンランド語のすすめ

山川亜古

「フィンランド語は難しい」という伝説!?
確かに北欧語の中でもフィンランド語だけ全然違うし、発音も文法構造も語彙も、英語やドイツ語など身近に知っている言語のタイプとはかなり異なっていて、 馴染みがなく感じられます。でもそう恐れることはありません。私達日本人にとっては実は意外にとっつきやすい言葉でもあるのです。

発音は日本人向けの言葉?
外国語学習ではたいてい発音の習得に苦労します。ところがフィンランド語に関しては、まずその苦労が殆どありません。 フィンランド語は文字をそのまま書いてあるとおりに、ローマ字を読むように発音すればいいのです。例えば、puu は「プー(木)」、talo は「タロ(家)」、 me は「メ(私たち)」といった具合です。アクセントも常に単語の頭(第一音節)につけ、イントネーションも平易、疑問文は終わりを下げて読みます。 そんなわけでフィンランド語を習いたての人でもすぐに通じますから、声に出して使ってみるのがとても楽しくなること請け合いです。
また発音が日本語そっくりの単語がたくさん出てくるので (例えば 上述のme メ(私たち)→目 he ヘ(彼ら、彼女ら)→屁 hanaハナ(蛇口)→花、鼻、 susiスシ(狼)→寿司 などなど)、 ちょっとしたことば遊び的な要素も楽しく学習を進める助けになるかも。

文法規則はパズル感覚で覚えてみよう!
フィンランド語が難しい、といわれる所以はその文法規則にあります。 名詞や動詞の活用がたくさんあるからです。フィンランド語は語末を変化(活用)させ後ろに文法的な情報がくるタイプの言語ですが、 名詞の活用形は日本語の「てにをは」格助詞の使い方に似ているのでわかり易いでしょう。例えばkoulu「学校」という名詞は、 koulu-n学校-の koulu-a学校-を koulu-un学校-に koulu-sta学校-から koulu-ssa学校-で となります。

ところで単語は文中では、原形(辞書形)から活用した形で登場することが殆どです。そのため学習を進めていく上で、まず単語が原形からどう活用するのか その基本的な語尾変化をどうしても覚える必要があります。そうしないと辞書が引けないという困った事態が待っています。 もとの原形がわからないために辞書が引けず何十分も費やす・・・なんてことが学習初期の段階ではよくあります(私もありました!)。 というわけで基本の語尾変化や活用の形をぜひ何度も声に出して暗記するように覚えてください。

フィンランド語はシステマチックな言語です。最初は文法の規則性など覚えることが多くてとんでもなくやっかいに感じますが、 パズルを解いた後の達成感を楽しむような気持ちで学習を進めてみてください。一から全く新しいタイプの言葉を学ぶ醍醐味、 これがこうなるの?という新鮮な驚きがフィンランド語への興味を更にかきたてることでしょう。

【山川亜古】

東海大学大学院卒。
フィンランド語講師、サーミ言語研究家。
1996年フィンランド政府奨学生としてヘルシンキ大学人文学部留学。
1998年オウル大学、2000年8月より1年間サーミ大学(ノルウェー)に留学。
著書:『らくらく旅のフィンランド語』三修社)

北欧旅行の魅力とは

山中典夫(北欧留学情報センター代表)

この夏や秋の休みに北欧へ旅行する人も多いと思います。北欧観光へ行く人は、そこにあるなにか特別なものを観に行くのではなく、「北欧そのもの」を見に行くことが目的になることが多いような気がします。もともと旅行は、意識するにせよしないにせよ、非日常を体験してリフレッシュすることが、目的になります。確かに、デンマークの長閑な様子や、ノルウェーの神々しいばかりのフィヨルドとそこに暮らす人々、森に恵まれたスウェーデン、たくさんの湖をまとったフィンランド。そんな北欧の風景に、身を置くだけで十分幸福感に浸れます。
個人的な意見ですが、それぞれの首都はそれぞれ魅力溢れる街ではあるのですが、北欧の旅ので最も魅力的な場所は、小さな町や田舎道だと思います。細野晴臣さん歌に、「ここがどこなのかどうでもいいことさ」(「恋は桃色」)というフレーズがあります。私は、北欧の道を歩くとなんとなくこの歌が口ついて出ます。日本とは違う、空の色を楽しみ、草や木の臭いを嗅ぎ、風に吹かれ、時には月の光を背に受けて歩いているだけで、それだけで、気持ちがいいのです。そして一緒に歩いてくれる恋人がいれば、もっといいです。食べ物を楽しんだり買い物をするのだけの旅行は、北欧には似合いません。あくまでものんびりと、疲れた心身をお風呂に浸すように、北欧旅行を楽しむのがいいです。強行スケジュールで疲れながら駆け足で回るのは、あまりにもったいないところです。
追記:北欧の小さな町のミュージアムに立ち寄るのもお奨めです。充実したものがとても多いのです。それからスーパーマーケットに入るのも面白いんですよね。

(本稿はOSV23号に掲載されたものです)

白夜の国の贈り物 ?@

小池香緒里

現在、私は大学で社会福祉を学んでいます。福祉を学ぶ動機として思い描いているのは、一人一人がその人固有の苦悩や喜び、経験など築いてきたものを封じこめることなく社会の貴重な賜物として活かして、一人一人が社会の豊かさを生み出し、共にわかちあえるような世界をみんなで創っていくことです。
異様にも思える暗さが、今の日本を覆っているように思います。ですから、立ち止まって深く話しこんだり、考えこんだりする心の余裕が必要だと私は思うのです。それぞれの心の中でも、家庭や教育の現場、そして社会のなかでも。
自然の語りかけに耳を傾けたり、芸術の美しさに身をゆだねたり、本を読んで未知の世界に夢をはせたり、静寂の中で自分の心と対話してみたり・・・。小さな頃フィンランドにいた私は、そんな中で育ちました。私は人として守るべき事を学び、自己をみつけ、他人や社会を思いやり、許し、共存し、また生きる意味を考える事を学べた気がします。自自己中心的な欲求を満たすだけで、心が豊かになるとは思えません。自分の心をないがしろにして周りの欲求に叶うだけでどうやって生き続けていかれましょうか。人生は生きることの明るい喜びと、暗い哀しみが祈り重なっていくものだと思います。そしてそれは、うち続く不安や疲労感ではなくて、心からの安らかな幸せであるはずなのです。
子どもの頃、私はフィンランドに暮らしました。フィンランドでの生活体験の意味は大きく、現在においても私の何かにいきづまった時、私はフィンランドでの日々を思い出します。

冬の教会の荘厳な空気や木のきしむ音、オペラハウスの天井で舞っていた天使たち、クリスマスに白い庭を点々と飾っていたろうそくの灯り、もみの木のにおい、大の字に寝転がって見た空から落ちて雪のひとひら、ホームパーティーで背伸びしてきいていた大人の会話、本選びから始まり、チームワークに苦戦して、共にプレゼントを贈ったクラスメートたち、自然と生涯学習をしてくれて私たちの目を社会に向けさせていった素晴らしい先生方。そうしてあのような一人一人がその人らしく輝ける、人間らしく生きていけるヒューマニズムのしみ通った社会を夢見るのです。大人が子供を「いい子」に育ててしまうことのない地域社会、誰もが「私は私だ」と穏やかに生をまっとうできるケアシステム、女性が安心して子育てをし、仕事に復帰できる環境、犯罪の加害者・被害者が孤立することなく更正できるコミュニティー、人が逃げたくても行く崎もなくて、自ら命をとじようなどと思うことのない社会、様々な子が互いの長所を発見し、のばし、助け、助けられる喜びをかみしめられる教育。そんな社会の幸福のために、私はこれからも日々励んでいきたいと思います。
どうか、その大切な一部であるこの語学教室の皆様、これからもよろしくお願いします。

(本稿はOSV22に掲載されたものです)

 

白夜の国の贈り物?A

小池香緒里

フィンランドという国は素晴らしい。でもその素晴らしさを説明するのはとても難しい。
私はまだその時ほんの子どもだった。子どもの私とってフィンランドは、ただ単純に「いいところ」だった。雪遊びができ、森や庭では動植物が見られ、アウトドアスポーツも楽しめ、おまけにサンタにもムーミンにも出会えたのだから。でも、今ならわかる。あのフィンランドでの幸福な日々が私にくれたものは何だったのか、少しずつだけれど理解できるような気がする。

フィンランドから日本へ生活の場が移ると、毎日が変わってしまった。なんだかよくわからないけれど、歩み続けることをやめたくなるようなこの気持ち。言いようのない自分への嫌悪。日々感じざるを得ないのは、自分の中の欲望とか、他人とすぐ比べるところ、人を傷つけたことなど、道徳に反したそういう瞬間の数々だった。見えないふりはできても、視界を常に曇らせて、晴れることはない。そういう毎日の連続のままいったいどこまでそうしていくのだろう。

私はとても疲れてしまった。やることや守ることがあまりにも多く、細分化している日本に。それから逃げたり、ごまかしたり、嘘ぶいたりと追いつめられて、自分を守る術だけ身につけてしまったと思った。周りに生かされているのを忘れ、自分の目先の利益や欲に心奪われ、溺れていく気がした。何をしても正しいことをしている気がしない。そしてそれは全て、日本社会のせいだと私は思ってしまっていた。

私は、恋しかったのだ。フィンランドの森のかすみのような空気が。全てが生き生きと感じられた心の躍動感。そして良心をもっていた自分。あのゆとりある頃、「正しくいる」ことは幸せなことだった。自分の隣にいる人が困っているとき、物言いたげなとき、黙って考えたい時、それを感じとって叶えられたし、人の才能の素晴らしさに心から拍手を送り感動していた。自分にあるものもないものも素直に受けとめられた。

でも、そういうものなのだとふと気づいた。すべての謎は「成長」にあったのだ。私は純粋無垢な子ども時代を夢物語のようなフィンランドで過ごした。そしてちょうど心模様が複雑化するティーンの時に障害の多い日本へ帰ってきたのだった。そしてそれは、それでよかったのだ。私はフィンランドから「羽根」をもらったのだから。その羽根は立ち止まってしまった私を妖精のように軽くし、再び飛び立つ力を、暗雲からわずかに覗く幸せの木漏れ日を感じる力を、深い森に迷っても喜びに通じる小道を見つける力を与えてくれた。そして日本は私に人生がいかに複雑で多くの苦難に溢れているかを教えてくれた。そしてそれでもそれに耐えてゆかなくてはということも。暗い北欧の冬に辛抱して春の光を待つ野ウサギのように。
私はあの時あの場所でなくてはもらえないものを、どちらの国からももらっていたのだった。フィンランドからは、この世の喜びに手をのばせる妖精に私を変えてくれるような羽を。日本からは、哀しみの重みを胸にきざみながら、地に足をついていられる根っこたるものを。そして、この両方がなかったら、どちらかが欠けてしまっていたら、私はきっといつか、つまずいてしまうことになっただろう。
私はフィンランドでの遠い日々をこよなく愛していたのに、正義にこだわるあまりそれをしがらみに変え、祖国日本におかどちがいの憤りを感じていた。今、時の流れが記憶の中で凝縮され、静かにゆっくりと熟成した。思えば正しい道とはいつも茨の道で、正しく、清く、優しくいることは必ずしも人にとって幸せではなく、時に激しい苦痛や圧迫に変わってしまう。だから欠点を直したり、隠したり、装ったりするのではなく、自分の内面、心の中の泉を覗いてみて、解放してあげることが大切だと思う。人の心の問題でも、国の情勢の問題でも。
今、私の心の中ではフィンランドと日本の二つの母国が生きている。今になってようやくうまく共存することができたのだ。そして私の心の中の泉はゆるやかに流れ出した。それが誰か旅に疲れた人ののどを潤すことができれば、私はどんなにかうれしいだろう。そして私も誰かにもらった水をほろりとするほどおいしく感じられるだろう。

(こいけかおり フィンランド語初級)

(本稿はOSV23号に掲載されたものです)

私が選んだフォルケホイスコーレ留学 −ちょっとプロの気分でライブツアー −

森谷淳二

デンマークが誇る独特の成人教育システム、フォルケホイスコーレには、様々な種類の学校が有ることはご存じだと思います。私は、音楽に興味があったので、音楽を教えてくれる学校を選んで2001年1月〜6月まで留学しました。

私が選んだのは、Tuftlundという小さな町の音楽と演劇のフォルケホイスコーレ。約半年間、実に数々のおもしろい経験をすることができました。
学校のあるTuftlundは南ユランにある人口3000人の町。デンマーク最古の都市リーベから20kmの南東に位置し、周囲は牧場しかない長閑な田舎町です。 そんな環境の中で、この学校では朝から晩まで音楽三昧の生活を体験できます。音楽といってもジャンルは様々ですがここでは主にロック、ジャズつまりバンド音楽が中心です。スタジオは4つあり、レコーディングも可能、生徒の部屋と同じ鍵で24時間自由に出入りできるといういうすばらしい環境でした。ピアノはグランドピアノが2台、スタンドピアノ4台で計6台あり、毎晩誰かしら練習するので夜遅くまでピアノの音色が響いていました。

学校ではいろんなカリキュラムや行事がありましたが、その中で私がもっともユニークでエキサンティングだと感じたのが、「ライブツアー」。春コースの終わりに毎年行われ、デンマーク各地をバスで巡って主にバブでライブ演奏する、というものです。観客を前にして演奏するわけですから、少しだけプロミュージシャンになった気分に浸れます。 旅をするコースは毎年異なるのですが、私が参加したライブツアーは、デンマーク第二の都市Aahusからスタートし、ユラン半島の北を巡る演奏旅行でした。

北ユランのSabyいう港町を拠点にして、この1週間の間にデンマークの学校やレストラン、パブなどで5回ライブして練習した成果を披露しました。演奏する曲はみんなで話し合い、レディオヘッド、ビョーク、ベックなどからデンマークの音楽の様々なジャンルの曲のコピーして演奏しました。楽しい毎日でした。
しかしツアーは楽しいばかりの旅行ではありませんでした。一週間でいろんな所をバス一台で巡るので、夜中12時に演奏がはねて、その直後、何時間もかけて移動しなければならないこともあありました。しかもバスの中は演奏機材が半分スペースを奪います。ドラムやら大きいスピーカーやらを1台のバスに詰め込んで移動するのです。人はその隙間に座り個人の荷物は自分で抱えるという程窮屈な状態。これは、けっこうきつかった。
音楽機材の中には、体格のいいデンマーク人でも2人がかりでないと持てない物などもいくつも含まれており、ライブ会場移動のたびに出し入れと組み立てをみんなで協力して行わなければなりません。

その時は大変でしたがツアーが終わる頃には団結力が芽生え、終わってみたら楽しい思い出になりました。中で最も印象的だったのがHjorringという町のバーでのライブでした。このバーは古い船の中をイメージしたつくりになっており綺麗で印象的だった事もさることながら、そこでライブできた事自体がとても貴重な経験でした。たくさんの客が普通に酒を飲んでいるという慣れない環境の中、緊張しながら演奏をするも演奏が終わると温かい拍手や歓声で迎えてくれとても感動しました。

(もりや じゅんじ/ビネバル出版スタッフ)

目立つ「北欧デザイン特集」

最近は、「デザイン」をコンセプトに北欧の特集をする日本の成人男性向け雑誌が目立ちます。一頃、北欧福祉記事が有象無象書かれましたが、そこまで行かなくとも、結構な量の記事を目にするようになりました。これだけ北欧が求められる真の理由はわかりませんが、日本の住宅事情が北欧家具やグッズを置いても違和感がなくなったこと、バブル経済崩壊以降なんとなく日本人の心身がシンプル&コージーを求めていることなどが思いつきますが、どうでしょうか?
デンマーク大使館のある東横線の代官山には、最近スウェーデン製のステーショナリーグッズを売るお店ができましたし、デンマークの生活関連グッズ「ボダム」も店を広げています。
ビームスというメディアと若い年代の影響力のあるお店が、積極的に北欧グッズを数年前から紹介していたとも聞きました。そういう様々な人々の「営業活動」が単に実ったのだけなのかもしれません。北欧の品々が手頃な価格に落ち着いてきたこともあるかも。

私が気が付いたのは以下の雑誌特集です(4はムック本)。

  1. 「アルネ・ヤコブセン大研究」 ペン 2002年4月15日号
  2. 「北欧最終案内」 カーサブルータス2002年8月号
  3. 「デンマークのデは、デザインのデ」 ソトコト 2002年4月号
  4. 「北欧家具とデザインの本」 北欧スタイル夏号 2002年夏号
  5. 「おとぎの国の雑貨探し」 フィガロジャポン 2002年7月5日号

  1. は今年生誕100年を迎えた天才デンマーク人建築家アーネ・ヤコブセン(故人)を紹介。代表的作品を紹介しながら、彼の生涯を紹介している。年代順にヤコブセンの作品を紹介、その1つをひとつに丁寧に解説を加え、その後のプロダクトデザイン界に与えた影響も考察しています。この中には「これを普通の人がたのしんで読めるだろうか」というような、かなりつっこんだ記述もあります。
  2. は生活を豊かにする北欧デザインについて網羅的に紹介している。日用品、建築など、デンマーク、スウェーデン、フィンランドのデザイナーを紹介している。
  3. はデンマーク人の生活とデザインの仲の良さを伝える。また豚肉を中心とした食文化の紹介もある。
  4. はまさにカタログ。日本で入手できる北欧関連グッズの紹介するほか現在のデザイナーを紹介している。

各記事に共通する事柄は3つ。

  1. 北欧デザインに解説と椅子を中心とした家具の紹介
  2. 北欧の代表的デザイナーの紹介
  3. レポーターが女性

それぞれの記事でデザインについてのうんちくもすごいし、商品紹介も詳細を究めるのですが、「アルネ・ヤコブセンの創造力は、スピルバーグに匹敵するものだったかもしれない」(pen)というような比較には、なんとなく違うんじゃないかなぁ、と思ってしまう。

最近のハリウッドの映画を見ていると、北欧の家具やグッズが頻繁に画面に映る。「トータルフィアーズ」を見ていたら、テロリストが「バンク&オルフセン」のオーディオに耳を傾けていました。

(本文はOSV24号に掲載されたものです。)

『ヒトラーの忘れもの』をめぐる歴史的背景

【『ヒトラーの忘れもの』をめぐる歴史的背景/大阪大学大学院言語文化研究科准教授 古谷大輔】

http://hitler-wasuremono.jp/about.html

『ヒトラーの忘れもの』は昨年末に話題になったデンマークの映画です。

DVD化されレンタルシショップにもでたの借りようと思っています。観る前にちょっと予告編でも観ておこうかと思って、映画の公式ページを開け「歴史的背景」のタグをクリックしたら、古屋先生の文章が出て、読み始めたらとまらなくなりました。幸福の国デンマークの歴史のダークサイドががいかに生まれたのかが分かります。そして、戦争は嫌だな、とつくづく思います。

デンマーク映画「きっと、いい日が待っている」

http://www.kittoiihigamatteiru.ayapro.ne.jp/

孤児院に入った兄弟の過酷な生活を描いた映画です。
私自身は未見ですが、ツイッターの観賞後の呟きを見るとタイトルから想像するイメージとは裏腹に、「重い」「エグい」などの言葉が見られます。そういう感想を書く人は、多分、デンマーク映画を初めて見た人ではないかと想像しています。

デンマーク映画を初めて見る人は「デンマーク映画を観賞した」のではなく「デンマーク映画を体験した」という感じになっていて、観賞直後はたぶん「言葉もでない」ほど打ちのめされ大げさにいうなら、「人生観を揺さぶられている」はずです。

デンマーク映画には「サクセススト-リー」や「貧困から脱して幸せになる」というような作品があまりありません。運不運の振幅が小さく、困難や悲劇に見舞われてもセーフィティーネットがしっかりしている福祉社会を築いていますから、成功譚やありきたりな悲劇は北欧人にとってリアリティがないのでしょう。

たとえば「スカイプ」を世に出したのはデンマーク人とスウェーデン人の若者で彼等は成功と富を得ましたが、なにしろ「ヤンテの戒め」が骨の随までしみこんだ社会ですから、デンマーク映画界がこの若者2人の成功譚を映画や小説にする気などさらさらないと思います。

反対に人間のダークサイドを徹底的に掘り下げる映画は作られます。「人生は厳しい」という認識が北欧人にはあるそうです。スウェーデン映画もノルウェー映画もフィンランド映画も「人生の厳しさ」を掘り下げる映画が多いのですが、それをなんとなくユーモラスな展開で描きます。
しかしデンマーク映画だけは、これでもかというほど、根源的な人間の欲深さ、狡さ、残酷さを時には子どもまで使って描きたがります。
デンマーク人監督のラッセ・スパング・オルセン監督は、人生の厳しさをナンセンスギャグで描くことが多い人ですが、彼とて「殺人をギャグにする」エグさがあります。

もしあなたが初めてデンマーク映画をみるのならば「バベットの晩餐会」をお勧めします。

長い文章になりすみません。

フィンランド語テキスト音源(MP3形式)

フィンランド語入門者用テキスト『Suomen Kielen Alkeisoppikirija』(Finn Lebtura社発行)の
テキストの主要本文だけを読み上げたものです。
お客様からの要望で、担当講師が独自に録音したものです。ただし音質は悪いです。
ご自身の判断でご活用くだい。

『Suomen Kielen Alkeisoppikirija』はフィンランドの語学学校などで使用されているテキストで、
このテキストの進行度に応じてレベル分けされています。

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